こんにちは!
さい(@sai_zukai)です。🦏
今回は僕が
- どんな価値観で生きているのか
- どんな経験をしてきたのか
- なにを目指しているのか
といったことを、未来の仕事仲間やこれから人生を共有するかもしれないあなたに伝えたくて、ひとつの記事にまとめました。
とーーーっても長いので、興味がある場合だけ読んでください。笑
Contents
かんたんなプロフィール
活動名:
さい(新垣才…Aragaki Sai)
肩書き:
・図解コーチ
・株式会社コーチェット デザイナー
・株式会社MOVED 情報デザイナー
・東京デザインプレックス研究所 サポートメンバー
仕事:
・図解を用いたコーチング
・UIUXデザイン
・情報設計
・図解や資料スライドの制作、講師
・Twitterコンサルティング
・書籍執筆
今となっては、関わってくださる皆さんのおかげで
- 好きな場所で好きな時間に
- 好きな(尊敬できる)人と
- 好きで得意なことを仕事に
という状態になれて、毎日が本当に楽しいです。
だけどこれまでは苦しいことの方が多かった。
やりたいことも特になくて、自分のことが嫌いだった。
でも、そんな時期があったからこそ、今の自分があるんだなと思ってます。
僕の過去や行動基準、価値観を見て、ちょっとでも
「なんか元気でてきた」
「自分もその考え好きだわ〜」
「この人と関わってみたいな」
なんて思ってもらえたら嬉しいです。
未来:目指していること
どんな基準で生きてるの?
まず最初に、僕の最高価値、いちばん根っこにある行動基準について紹介させてください。
図解、戦略、コーチング、ブランディング、デザインなどいろ〜んなコンテンツを組み合わせて仕事をしていますが、突き詰めると僕がやりたいことはたった1つ。
『前向きな変化をあたえたい』
これだけです。これを基準に生きてます。
生きる原動力のようなものです。
前向きな変化をあたえたいだけの人間なので、図解、戦略、コーチング、ブランディング、デザインなどをあらゆることを手段にしています。
その結果「肩書きも仕事内容もぐちゃぐちゃだぁ!」って現状です。笑
どうやって生きていたいの?
『前向きな変化をあたえたい』を最高価値として、僕はどうやって生きていたいのか。
どうありたくて、実現し続けていたい世界観はなにか。
僕はそれを『Vision』として次の3つにまとめています。
- 『心・体・食・住・仕事・趣味・財務・関係』の快楽とやりがいのバランスと、没頭力を高め続ける
- 新しい経験や日常の気付きを通して、前向きな感情を味わい続ける
- 自分の才能や好きなことを通して、力になりたい人が才能や好きなことを発揮できるようになることで、今と未来に共にワクワクし続ける
人生を冒険にたとえるならVisionは
「どちらの方角に進みたいか?」
「どちらの道を歩んでいきたいか?」
という指針・コンパスのようなものです。
そしてこのVisionを達成し続けるための目標として『日本一の図解コーチになる』という旗を立てています。冒険にたとえるなら目標地点。
「日本一って具体的にはどんな状態?」ってのをマインドマップで具体化して、日々臨場感を高めています。
さて、ここまでを一旦まとめると、こんな感じです。
最高価値
前向きな変化をあたえたい
Vision
①『心・体・食・住・仕事・趣味・財務・関係』の快楽とやりがいのバランスと、没頭力を高め続ける
②新しい経験や日常の気付きを通して、前向きな感情を味わい続ける
③自分の才能や好きなことを通して、力になりたい人が才能や好きなことを発揮できるようになることで、今と未来に共にワクワクし続ける
目標
日本一の図解コーチになる
僕は2021年の時点で開業届を出して3年目だったのですが、ようやくこの自己紹介を書くことができました。
その理由は最高価値・ビジョン・目標がやっと1つの形として、「細かなアップデートはあれど、根っこはこれからもずっと変わらないな」と、心から納得できる状態にまで磨くことができたから。
これまでも自分の中にビジョンや価値基準、目標はあったのですが、ずっと「なんか違う」「もっとしっくりくる言葉があるはず」と外に出せないまま模索し続けてました。
だから堅苦しい自己紹介しか出せてなかったんですよね。経歴・実績をコンパクトにまとめて権威性を出すアレです。
は〜…やっと出せた!笑
ということで、ここからは僕の過去のお話。
この最高価値・ビジョン・目標に至った経験を
小学生時代からつらつらと書いていきます。
過去:経験してきたこと
なんでもできた小学生
小学生のころの僕は、まあ元気な男の子でしたね。
愛知県は名古屋市にある、1学年1クラスずつしかないちいさな小学校。
授業終わりのチャイムがなると同時に校舎の階段をかけ降り、運動場で鬼ごっこやドッジボールを休み時間めいっぱいまで楽しんだり。
放課後は当時住んでいたマンションの裏にある林で、みんなで秘密基地を作ったりしてました。
勉強の方はというと、まあ順調で。とくに算数は大得意で、教科書の右下にある演習問題をクラスで一番早く解き終わっては、友だちの机をまわって計算方法や解きかたを教えたり。
その様子を担任のおじいちゃん先生が、教卓でほほえましく見守ってくれてました。THE・平和。
いま思えば、この頃から人に何かを教えたり、友だちが問題の解きかたや道筋をみつけた瞬間の笑顔や変化をながめるのが好きだったのかもしれません。
小学5年生からは中学受験の勉強も開始。
愛知県内で有名な『河合塾』に通いながら、適度に遊びつつ、割とそつなく中高一貫校に合格しました。
とまあ、小学校生活”は”本当に順調でしたね。勉強できるし、運動できるし、性格も明るい。
成人式の時に同級生に聞いた話では、当時は女子にモテモテだったそうです(知らなかった)。
そんな井の中の蛙な小学生は、中高一貫の6年間で深い深い闇に落ちていくのでした。
ひと目を気にしつづけた中学生
晴れて第一志望の中学校に入学した僕は「上には上がいる」という言葉を痛感させられます。
たとえば、全国模試で常に10位以内をとるような文字通りの天才。100メートルを12秒で走るやつ。話がめちゃくちゃ面白い上にリーダーシップまであるイケメン。
色んな才能を間近で感じ、かつ小学校の同級生が1人もいない環境に飛び込んだ僕は、思春期発動も相まって性格が変わったように喋らなくなりました。
特にコンプレックスだったのがくせ毛。
母親ゆずりのウネウネ髪の毛がホルモンの影響で強くなり始め、同時に「人からどう見られているか」が気になるようになった僕は、学校にいる時はつねに下を向いて髪の毛をいじってました。
「なんかカッコ良い」ぐらいのノリで入ったバスケ部でも常に髪をいじいじ。
「バスケが上手くなりたい」よりも「人から髪型が変だと思われたくない」が勝っている人間が上手くなるはずもなく、試合にも出れずベンチを温めつづけてました。
結局、3年間まったく自分の容姿(髪の毛)に自信がなく人をさけ続けた結果、同学年が400人いる中で「友だち」と呼べるのは両手で数えられるほど。バスケ部の同級生+3人ぐらいかな。
下校中に「あ、今日誰とも喋ってないわ…」と苦笑いしながら帰る。
そんな日が何度もあるような中学生でした。
いろいろと折れていた高校生
そんな取り柄のないまま高校生になってしまった自分に嫌気が差した、高校一年生のある夏。
「このままの自分がゆるせない。バスケを本気でやってみよう」と思い立ち、毎朝7:00、誰もいない体育館で一人、朝練をするようになりました。
1ヶ月後、腰の骨にヒビが入り、バスケができなくなりました。
おしまい。ちゃんちゃん。
…とまあ、『第五腰椎分離症(だいごようついぶんりしょう)』という診断名、いわゆる疲労骨折を起こした僕はさらなる暗黒期に突入します。
いえ、疲労骨折だけなら安静にしてれば3ヶ月ぐらいで治りました。
僕の場合はさらに『仙腸関節炎(せんちょうかんせつえん)』というちょっと珍しい腰痛を併発していたんです。
コルセットを巻いて安静にしてたのに、半年たっても腰の痛みが引かない。むしろ症状は悪化していて、立ってるだけでも座ってるだけでも痛い。
痛みが酷い日は一日中ベッドから起き上がれないこともありました。
ヒビはとっくに治っているはずなのに、原因がわからない。結局、それが『仙腸関節炎』だとわかるまでに1年以上かかりました。
もちろん部活には行けません。学校にも行けたのも半分ぐらいかな。
たとえ痛みが少ない日さえも「もうどうでもいいや」「人と会いたくない」という感情が頭の中を渦巻きつづけていて、学校に行くフリをしてバスに乗り、名古屋駅で一人ぼーーーっとしながら過ごして家に帰ってベットで寝る。
もともとメンタルが弱い(と思っている)自分は、「がんばっても良いことないじゃん」と完全に心が折れていました。自暴自棄になってたし、「しにたいな…」と感じることも1〜2年間毎日のようにあったので、うつ状態だったのかもしれません。
そんな暗い日々のなか、自分をつなぎとめてくれていたのがアニメと歌でした。
腰の骨にヒビが入り自宅療養し始めたタイミングで、バスケ部の友達が「けいおん!」という深夜アニメを勧めてくれたんですよね。まぁハマりました。笑
気づけば立派な”オタク”としてコンビニの一番くじを早朝から買いに行ったり。声優のライブを見るために、名古屋からさいたまスーパーアリーナまで深夜バスで直行、ライブ前のグッズ販売に6時間並んだり…。
腰に良くないのにね。
アニメで好きになったアニソンやJ-POPも、自分の好きな曲を誰にも聞かれず思いっきり歌うことで、心の中にある何かがすこしでも晴れるような気がして。
名古屋駅からの帰り道にあるカラオケに、毎日のように一人で通ってました。
勉強については、高校3年生になってからも相変わらず不登校気味ではあったけれど、ちょこちょこ続けていて。
高校生活に良い思い出がない自分は、とにかく早く大学生になりたくて、「絶対に浪人したくない」という強い気持ちがありました。
でも一方で、やりたいことは何もなかったんですよね。
「痛みから開放されたい」「楽になりたい」でいっぱいいっぱいだった3年間。
気づけば自分の中の「好き・やりたい」という感情が、消えてしまっていました。
なので、大学は「現役でいけそうだから」、大学の学科は「好きではないけど役に立ちそうだから」、という基準で情報工学科(プログラミングやIT系)を選ぶことに。
腰の痛みが引いてきた冬の追い込みが功を奏し、なんとか現役で合格することができました。
この「好きじゃないけど役に立つから」という選択基準が、のちのち自分を苦しめ、そして人生最大の挫折につながるとも知らずに…。
好きには敵わないと知った大学生
高校生でこってりのアニメオタクになった僕は、大学のサークルもアニメ研究会に入ろうと決めていました。
しかし、新歓の時期を終え、気づけば僕が入っていたのはストリートダンスサークル。
なんでやねん(^∇^)
気づけばアニメもしだいに見なくなり、来る日も来る日もダンスをする、そんな大学生活でした。今となっては、「あの時アニメ研究会ではなくダンスサークルに入った自分えらい…!」と心から思います。
一方で勉強については、テストの点数は悪くないけれど、勉強すること自体がだんだん辛くなってきて。
理由は、プログラミングが本当に好きで好きで仕方がない人たちを間近に見てきたから。
もうスキルも圧倒的なんですよね。
授業中もずーっとプログラミングしながら戦争ゲーム作ってる人がいたり、まわりが1ヶ月かけて提出するプログラミング課題を、提出日当日の6時間で完成させる人がいたり。
そんな人たちを見ていると、
「ああ、この人達にはどうやったってかなわないな」「プログラミングが好きな人達に任せておけばいいじゃん」
という気持ちが育っていって。
「役に立つから」で入学した自分は「好きだから」で入学した人にはかなわない。
じゃあ自分の中で「役に立つ好きなこと」ってなんだろう?
そんなことを考えていると、役に立つかどうかに関わらず純粋に好きなことがわからなくなっていきました。
そんなモヤモヤを膨ませながら、僕は大学院に進学。
ちなみに僕が通っていた大学では学部生の約90%が大学院に進学するので、就活していると逆に珍しがられます。
当時は「好きなこともやりたいことも見つからないし、とりあえず大学院に行こう」ぐらいのなあなあな気持ちで進学しました。
この頃には「好きがわからないなら、とりあえず役立つものを」の精神はだいぶ膨れ上がっていて。
ほんのちょっぴり興味のあった他大学や他学科も、受験に失敗することが怖くて挑戦できなくなっていました。
「好き」を取りもどした大学院生
大学院に入学してすぐに待っていたのは、人生最大の挫折。
好きなことがない自分への嫌悪感、教授との相性の悪さ、当時付き合っていた彼女との別れなどが重なった結果、ストレスが限界を超えてしまい、僕は研究室を1ヶ月で辞めました。
研究室を辞めたらもちろん卒業もできません。実質退学です。
今となっては「辞めるぐらい大した事ないよ〜」と笑えるけれど、当時、まだ浪人も留年も経験したことがなかった自分にとっては”大事件”でした。
なにより辛かったのは「好きなことではなく役に立つことを選ぶ」という、長年の自分の選択がもたらした失敗だということ。
「自分は間違い続けていたんだ」
「もっと”好き”を大切にすれば良かった」
後悔の念が次々に押し寄せ、研究室を辞めた日はずっと泣いていました。
だがしかし!
この挫折こそが、人生最大の転機でもあったのです。
ひとしきり泣き、落ち込みきった僕は
「もういいや。どうせもう人生のレールを外れてしまったんだし、これからは”好き”を基準に生きてやろう!」
と開き直りました。われながらめっちゃ切り替えはやい…笑
まずは失敗した大学・学科選びから。
すこし興味はあったけど勇気が出せずにいた「経営・戦略・マネジメント」を改めて学んでやろうと、今度は同じ大学院の『経営工学科』の入試を受けることを決意。
入試までは残り3ヶ月しかなかったし、まわりの受験生と比べると4年間のブランクがあったけれど、合格する気しかしませんでした。
だって、勉強がめちゃめちゃ楽しかったから。
何年かぶりに「好きだから、やりたいから」という基準で始めた勉強は、毎日朝から晩までやっても、まったく苦になりませんでした。
最寄り駅のスタバで勉強してたからカフェ代はとんでもないことになってたけど…笑
なんなら合格してからも、勉強はやりつづけてましたね。
中小企業診断士という経営系の国家資格を受けたり(一次試験合格)、お金について勉強したくてファイナンシャルプランナーを受けてました(2級取得)。勉強楽しすぎた。
翌年、経営工学科に入学してからも、僕は”好き”を基準に没頭してました。
修士1年生でハマったのは就活。
まるまる1年間、時間にして1000時間以上は就活に費やしてましたね。この話するとだいたい引かれるんですが。笑
「社長や役員クラスの人に無料で、なんならご飯おごってもらいながら会話できちゃう”就活生”ってラベルすげえ!やべえ!」って興奮しながら就活してました。←
修士2年生でハマったのはオンラインサロンでした。
「会社員になる前に自分のサービスで稼げてる人になりたい!会社に依存したくない!」と思い立ち、とりあえずTwitterで発信活動を開始。
数日たったある日、Twitterであるインフルエンサーが「ビジネス系オンラインサロンを始めます」とツイートしているのを目にしたんですよね。
直感で「これだ!」と。
なにかが頭の中に降りてきた気がして、サロンが開設された初日に入会しました。
これが本当に楽しかった。
サロンメンバーは高校生からご年配まで、年齢も職業もなにもかもがバラバラ。
それぞれのスキルを掛け合わせて新しい仕事やサービスを立ち上げたりもしたし、飲み会やカラオケ、バーベキューなんかもしたりして。
『第二の青春』と呼べるような、とっても充実した時間を過ごしていました。
そして、このオンラインサロンに関わる中で
「あ、自分って図解が得意なんだ」
「図解って仕事になるんだ」
と好きかつ得意なことに周りの人のおかげで気付くことができました。
それからは『図解』を軸にTwitterで発信。
ありがたいことにお仕事を頂けるようになって、フォロワー数も順調に増えていって。
最終的には会社員になる2ヶ月前に開業届を提出し、晴れて『個人事業主』の肩書きをゲット!
入社初日から会社員と個人事業主の二足のわらじ状態になることができました。
人生最大の挫折をきっかけに、自分のやりたい方向に向かって突き進むことができた大学院生活。この2年間は、僕にとってかけがえのない2年間でした。
あ、研究もやってましたよ…?
働き方に悩んでいた会社員
1000時間の就活を経て、最終的に僕が入社したのは株式会社ゼネラルパートナーズ。
社会問題を解決することをコアに掲げている、ソーシャル系の会社です。
僕がこの会社に入った一番の理由は「誰もが自分らしくワクワクする人生」というビジョンでした。
「僕が目指していたのはこれだったのか…」とまるで人生の答えを見つけたかのような、本当に心から叶えたい、叶って欲しいと感じられるビジョンでした。
ゼネラルパートナーズの魅力を語るとそれだけで1,2時間経っちゃうので割愛しますが、そんな自分にとっての理想ともいえる会社で、僕はブランディングと新卒採用を担当しました。
学生時代のTwitterでの発信経験を活かして、社長やマネージャーにTwitter運用を教えたり、会社全体のSNSの設計をしたり。
はたまた採用イベントに登壇したり、学生面談や面接をこなしたり。
慌ただしくも楽しい日々を過ごしてました。
だけど、そんななか積もっていったのは「いつか起業したい」という思い。
とくに正社員になってからは複業の幅も広がり、合計4社と関わりながら働く毎日だったので、”会社員とフリーランスの働き方の違い”をずっと感じていて。
「自分にはフリーランスの働き方が合ってるかもな」
そう感じながら過ごしていました。
そして新卒1年目の冬、ひとり暮らしを始めたことをきっかけに、身の回りの環境がガラッと変わって。
ある冬の朝にふと、こう感じたんです。
「今このタイミングで起業(個人事業主ではなく会社をつくること)しないと、きっと自分は起業することがどんどん怖くなって、一生起業せず終わるかもしれない」
「あの時勇気を出しておけばよかった、なんて後悔しながら過ごすのは絶対にイヤだ」
その時からは不思議と、起業することよりも起業しないことの方が怖くなりはじめたんですよね。
もちろん、僕を信じて採用してくれた会社を、1年足らずで退職してしまうことの後ろめたさもありました。
でも、「誰もが自分らしくワクワクする人生」という会社のビジョンを、まず他の誰でもない僕自身が体現するために。
僕は僕らしいと思える、そしてワクワクする、起業という選択肢を選びたい。
そうして僕は入社して11ヶ月後の3月に独立し、翌月4月7日に会社を立ち上げました。
世界の見え方が変わった独立時代
こうして2020年の3月から僕はフリーランスに、4月からは会社のCEOとなったわけですが…。
そう、お察しの通り、独立した途端に待っていたのは新型コロナウィルス。
法人設立日が東京の緊急事態宣言初日という、なんともまあ…な初日だったわけです。
幸いにも僕はもともとSNS経由で独立し、関わっていた企業さんもWebマーケ、IT業界だったため、なんとか収入自体は下がらずに済みました。
原価も0円のビジネスばかりなのでなんとかしのげたかな、という感じ。もし飲食店やエンタメ系で起業していたら…と思うとゾッとします。
ただ、収入は下がらなかったものの、逆に上がることもなく。人と会う機会は激減していたので、なかなか商談につながることもなく、しばらく”停滞期”のようなものが続いていました。
そんな状況をなんとかして変えたくて。
「次のステージに行きたい」「どうすれば変われる?」と模索した結果、僕は『インプットの質』を変えてみることにしました。
つまり「ちゃんとお金を使って学ばなきゃ変わらないな」と。
その結果、2020年秋からの8ヶ月ほどで、大体300万円をインプットに使いました。
デザイン学校に70万円。マーケティングツールに90万円。SNSコンサルに40万円。コーチングに50万円。あとは単発セミナーや、前々から通っているボーカルレッスン、普段の書籍代を合算すれば50万円は超えてるので合計300万円はいったなあという感じ。
いま思い返すと「このご時世でその金額はちょっと頭のネジ外れてない?大丈夫?」と自分でもツッコミたくなるけど、結果としては成功だったのでまあOKとしてます。笑
ビジネス書やweb知識だけで学んでいた時とは世界の見方がまるで変わったし、高い熱量と行動力をもつ人達と出会えた。
なにより、お金を使うことへの意識が変わりました。
さらに面白いことに、お金を使う意識が変わると、自然と売上も上がっていったんですよね。
「お金は使うと増える」「お金は貯めるものではなく回すもの」という言葉の意味を身をもって実感しました。
現在:いまの僕のこと
そしてもう一つの大きな変化として、メイン事業のコンセプトを『図解をつくる』から『図解を活かす』に変えました。
今までは企業に依頼されて図解やスライドを作ったり、プレゼンのスライド作りを教えることを中核に活動してたのですが、2021年からは図解を活かしたコーチング事業に注力しています。
図解をつくること自体はもちろん好きなのですが、僕が本質的にやりたいことを考えると、それは『抽象的な概念や複雑な状況を整理整頓することで、人に気づきや学びを与えること』でした。
図解はそのための手段に過ぎなかった。
「図解を装飾として使うなら、僕じゃない誰かがやればいい」
「僕が最も得意なのは思考の整理整頓や概念の可視化じゃないのか」
「もっと直接的に、もっと近くで、人の前向きな変化を感じたい」
それが1つに収束した結果、コーチング事業になりました。
ただのコーチングではなく、思考を整理整頓・可視化し、戦略的に進めるコーチング。
僕の武器である図解と戦略的思考を取り入れたコーチングを提供することで、クライアントの人生に、その人らしい地図とコンパスを提供したい。
そんな思いで、今までの集大成のようなコーチングサービス、図解×戦略コーチング「Vist(ヴィスト)」を作りました。
もちろんこれまでの経験や知識である
プログラミング。Human Computer Interaction。経営戦略。ファイナンス。コミュニティ運営。Webマーケティング。SNSマーケティング。ブランディング。採用。UI/UXデザイン。事業戦略。コーチング。
ぜんぶ活用していきます。
また、2021年10月からは株式会社コーチェットというスタートアップで、正社員のデザイナー(たまに企業内コーチ)としても働いています。
社内の情報を整えるデザインもすれば、新規サービスのデザインもすれば、既存サービスの担当コーチもできていて、デザイン×コーチングの働き方を存分にさせてもらえている会社です。メンバーもとってもとっても素敵で、魅力あふれる仲間ばかりで最高です。
さらにさらに、2022年の3月には国際的なコーチングの資格である『国際コーチング連盟 ACC』も取得しました。図解やデザインだけでなく、コーチングのスキルも理論と実践を重ねながら日々磨いています。
ということで2022年現在の新垣才は、図解、デザイン、コーチングの3本柱を中心としながら、スライド制作やスライドデザイン講師、Twitterコンサルティングまで手を広げて仕事をしています。
ほかにも、趣味で簿記3級を勉強したり、整体やボーカルレッスンに通ったり。書籍を執筆していたり。
そんな、今日このごろの僕です。
好きなこと・趣味について
ここまで読んでくれてありがとうございました!
なんか結局文章がカタくなっちゃった気がするので、最後に僕が信じている言葉や、好きなこと、趣味などをまとめて紹介させてください。笑
僕の人となり(?)がより伝わるといいなーなんて思います。
好きな言葉・信条
さまざまな書籍や出会った人から学んだ言葉のなかから、「こうありたい」「こう信じたい」と思った言葉や信条を厳選して書きとめてます。
どれも大好きな言葉たちで、日ごろから何度も見返してます。
人は変われる。
諸行無常、まず創造。
人生で今日が一番若い。
ときは今 ところ足もと そのことに 打ちこむ命 とわの御命。
人生は楽しむためにある。人生は短い。だが、何度でもやり直せる。
心配しても、明日の悲しみがなくなるわけでなく、ただ、今日の喜びが奪われるだけである。
Simple is best.
心の若さを決して見失うな。
自分の心の声に優しく、正直に。
振り返りの習慣は、複利の力である。
自分に対してもっているイメージがオーラとなり、運命となる。
没頭する。
私が何者かは、私が決める。
世界に望んでいる変化に、まず私がなる。
愛は名詞ではなく動詞である。決断である。
我がわが運命の支配者、我がわが魂の指揮官。
巨人の肩に立つ。
成熟 = 勇気 × 思いやり
対立あればこその深みである。妙味である。
水の中で泣いている、友達の涙に気づける人になりなさい。
神ですら、人を裁くのは、その人の死後までお待ちになる。
優しくあろう。人はみないつでも、困難な戦いに挑んでいるのだから。
好きなこと・趣味
子供のころから変わらない好きなことから最近好きになったことまで、特に伝えたい趣味をいくつか厳選してみました。
音楽
「このアーティストが好き!」というのはあまりなくて、AppleMusicのデイリーTOP100曲を聞きまわしてるタイプです。最近の曲はだいたい知ってます!曲調でいうとアップテンポな曲が好きですね。歌うのも好きで、もうかれこれ2年以上ボーカルレッスンに通ってます。ようやく最近ちょっとずつ上手くなってきたかな〜って感じられるようになりました。
読書
実用書が大好きで実用書ばかり読んでます。最近はハードカバーの重厚な本が好きです。小説は年数冊程度。あと最近はマンガも好きで、Kindleで全巻買って一気読みしがち。笑
身体にいいこと
最近「人生100年時代なら体のメンテは若いうちにやっておこう」と思い、健康に気を使いはじめました。たとえば整体やマッサージに定期的に通いはじめたり、お肉の代わりに大豆ミートを使って料理したり。あとは化粧水や乳液、日焼け止めも使い始めて、ヒゲ脱毛もはじめました。リングフィットは買ったけどなかなか続きません!体が硬すぎるのでストレッチに通おうか考え中。
食べること
美味しいもの食べてる時が最高に幸せ。大好き。昼ごはん食べてる時によく「夜ごはんどうしよう」って考えてます。さっき大豆ミートで料理してるって書いたけど、本当はお肉食べたい。でも美味しければ肉でも野菜でもなんでも、甘いものでも大好きです。家には『カレ・ド・ショコラ 70』というカカオ70%のチョコレートが常備してあります。
カフェ
食べ物に続いて飲み物も好きです。幸せな舌してるよホント。コーヒーと紅茶、どちらも好きだけど一番はカフェラテとかカプチーノなどのエスプレッソ系。抹茶も好き。牛乳も好き。豆乳も好き。なんならお水も好き。おかしい。あ、でもペットボトルのお茶やジュース、炭酸飲料は買わないですね。基本水かコーヒーです。お酒はワイン、ウイスキーがとくに好き。
散歩
「おじいちゃんみたい」ってよく言われるんですが、朝起きて午前中に散歩するのが好きです。朝から元気になるよね、散歩。健康にもいいので、最近は最寄り駅までバスを使わず歩いてってます。空気がいいところを歩きたい。でも体力はそんなにないので数十分歩くと「疲れたー」って駄々こねます。
動物
哺乳類はだいたい全部好きです。鳥も好き。魚や爬虫類、両生類はそこそこ。昆虫はニガテ。犬猫はもちろん、もふもふしてる系はとくに好きです。じゃれ合いたい。ペットショップとか入るとなかなか出てきません。あとは実家でイタリアングレーハウンドという犬を飼っていて、犬に会いたいがために定期的に帰省してます。笑
おわりに
あらためまして、最後まで読んでくれてありがとうございました!
僕がどんな人なのか、何を目指しているのか、何が好きなのかなどがすこしでも伝わっていたら嬉しいです。
そしてもし、僕と一緒に「自分らしいコンパスや地図をつくりたい」「戦略のある人生をあゆみたい」と思って頂けたのであれば、ぜひ図解×戦略コーチング「Vist」についても知ってもらえたらなと思います。
あなたが才能や好きなことを発揮して、あなたらしくワクワクする人生を生きるきっかけになれたら。
あなたに前向きな変化を与える存在になれたら。
そう願っています。